塾長メッセージ
塾長メッセージ
はじめまして、「修明塾」塾長の柴田圭と申します。
本日は、数ある学習塾の中から、私たちのHPに訪れていただき、ありがとうございます。
現在、「修明塾」は、東京都台東区・葛飾区に教室展開しており、私はそこで塾長をしております。
私はこれまで、小学生から中学生・高校生まで1,000人以上の生徒を対象に、十数年間にわたって受験進学指導・補習指導してきました。
今改めて振り返ってみると、実にたくさんの子供たちと出会い、共に勉強しながら、その成長を見届けてきました。
子供の成長する姿と笑顔を見て、卒業後もその子供たちと様々な面で関わったりもできることが、私の何よりの喜びです。
ところで、何よりも大切なお子様を預ける学習塾を選ぶとなると、少し不安な気持ちも生じるのではないでしょうか?
「ここは本当に信頼できる学習塾なのかしら?」「先生はどんな方なのかしら?」などと考え出すといろいろ心配も出てくることでしょう。
このような、お母様の不安な気持ちを少しでも解消できるように、塾長を務める私がどんな人物なのか、また、どうして塾講師を始めたのかをお話したいと思います。
ほんの少しだけでもお聞きください。
“№1進学校へ入学。しかし、待っていたのは挫折…”
私は秋田県で生まれ育ちました。
東京とは異なり、公立が圧倒的優位の充実した教育環境の中で、私は小学校・中学校の9年間を過ごしました。
親族に教育関係者が多かったこともあり、幼い頃から、学習や進路のことに対する「過剰な期待」と「多くの干渉」があったのは事実です。
その頃の私は、ただ周囲の期待に応えることだけが、自分への評価と考え、ひたすら勉強に励む毎日を送りました。
そして、私は少しずつ「勉強はできて当たり前」「名門校に入学し順風満帆な学業生活を送り将来も有望」といった自尊心が芽生えていくのを自覚していました。
通信講座と進学塾を併用し、いよいよ念願の高校受験において、学区内のNo.1名門高校へ合格しました。
周囲が羨望の眼差しで見ていることが伝わり、と同時に更なる期待感に包まれていた気がしました。
この時までは、自分自身の努力の結果を何も疑わず、楽しい高校生活を送り、その先の大学への夢を膨らませていました。しかし入学後に転機が訪れました。
散々な成績・・・
その高校には県内の各地域からやって来たトップクラスの300数十名の同期達がいるわけですから、当然彼らとしのぎを削ることになり、それまで勉強面であまり苦労を知らない私にとっては、今までできたはずの勉強がうまくいかなくなってしまったのです。
ですから、高校では散々な結果で、勉強面においては良い思い出が無いと言っていいほどです。
努力がそのまま成績には結びつかず、モチベーションなんて上がるはずも無く、ただ一人でマイナス思考の悪循環に陥っていました。
私にとって、生まれて初めての挫折感です。
“ある先生との出会いで成績が激変”
この挫折感により、私は精神的に追い詰められた状態が長らく続きました。
成績を上げるためにできることは何でもやったと記憶しています。でも状況はほとんど好転することはありませんでした。
予備校に通うようになってからも憂鬱な日々が続いていましたが、ある先生との出会いで、私の日常が一変しました。
「とにかく授業がおもしろかったんです。」
先生の人柄が感じられる迫力のある授業で、かつ人生の示唆に富んでいました。その先生の授業に参加するたびに、一歩一歩着実に成長している自分を感じることができました。
「授業で人生が変わるんだ…」
“落ちこぼれから全国6位に…”
今までの長らく続いた低迷期がウソであったかのように、心の支えと目標を持って受験勉強に励むようになりました。その結果、何とその夏の模擬試験で、全国6位を取ることができました。
誰でも「やればできるんです。」ほんのわずかな経験から、「自信が持てる」ことが実感できることを教えてくれました。
しかし、次は別の困難が…
実は私は、高校時代に家庭の経済的事情が一変してしまったこともあり、大学への進学は、授業料免除などの特待生扱い、または奨学金を利用してでなければ難しい状況でもありました。
そのため、経済的な面での親孝行をしなければという責任感も生じていました。
“大学入学の道が閉ざされかける”
私にとっては、辛い辛い受験勉強の末、国立の大学に入学したこともあり、学業成績および家庭の経済的事情による申請が認められ、卒業まで授業料免除で学業に励むことができました。
日本の政治全般および国の教育行政や社会的・経済的弱者への政治の在り方に関心も寄せていたこともあり、政治学を専攻しました。
研究への意欲も増し、大学院への進学も果たすことになり、将来は大学教員になろうと考えておりました。
きっかけはアルバイト
今でも大学・大学院生の人気アルバイトの一つになっている塾講師ですが、私も最初は生活のためにアルバイトを始めることにしました。
そうして「教わる側」から「教える側」へと立場が変わりました。
そして、いざ生徒を前にして授業をしてみると、生徒の悩みや苦しみが自分のものとして感じられました。
「1人でも多くの生徒たちに勉強が出来る喜びを知ってもらい、自信を持ってもらいたい」とアルバイト時代の数年間の経験で、全身にみなぎる情熱が湧きあがってきました。
この瞬間、私は教育業界に飛び込むことを決意し、晴れてプロの塾講師となりました。
“理想の指導法を研究する日々…”
先のエピソードでも触れましたが、私は勉強面においては、トップ層もドン底も両方経験しました。
だからこそ勉強面で悩む生徒の気持ちの1つ1つが本当によく分かります。
ただ生徒に向かって、「何でわからないの?」もうこれは、絶対に禁句ですよね!
「一方的な説明だけでは、生徒が抱えている悩みを根本的変えることなんてできない」と痛感したことがありました。
生徒が抱えている悩みに「共感」して、かつ的確な処方をとらなければ、コミュニケーションはおろか、信頼関係をも構築することはできないんだと思うようになりました。
私は、小学校・中学校を中心に全科目の全単元を始めから猛勉強しました。
多くの生徒がどの内容でつまずくか、授業でどのような説明をしたら、理解定着が図れるかを指導法と一緒に研究しました。
さらに入試問題の研究は必須でした。
問題の傾向と学校別に合格点を獲得するには、どんな戦略が必要か、実際に自分が解きながら、パターン・マニュアル化していきました。
“「学校での問題児を指導」印象に残った生徒のエピソード…”
ある日、塾生の紹介で、高校受験を希望する中学3年生が入塾相談にやってきました。
実は塾生からは事前に話は聞いていたのですが、学校では素行面でかなりの問題児とのこと。
勉強面でのつまずきが一層行動を過激にしていたとか…。
初めは「うーん、どうかなぁ。きちんと勉強してくれるのかなぁ」と不安だけが先走る心境でした…。
とは言っても、私は、どのような生徒でも受け入れて勉強をきちんとさせ、志望校に合格させてきたので、その生徒の意志確認をした上で、一緒に勉強することにしました。
いざ授業をしてみると言葉づかい、授業態度も決して良いとは言えません。
ある程度は様子を見ていたのですが、ついにその目に余る言動に釘を刺さざるを得ない状況が起こりました。
私は、「今まで思っていた感情のすべて」をその生徒に言葉にしてぶつけました。
生徒も負けじと何倍もの量の複雑な感情の入り混じった言葉を私にぶつけました。
言葉の応酬に、もうこの時は、教室にいた周囲の生徒も唖然としていましたが、このやりとりがきっかけで、その生徒の態度が徐々に変わっていきました。
授業に真剣に取り組むようになりました。
私とその生徒との間に不思議なくらいの信頼関係が構築される一方で、その生徒が抱えていた心の闇を垣間見たような気がしました。
誰もが努力しようとするが、上手くいかない時ほど自暴自棄に陥りやすい。
私はそこに手を差し伸べて、簡単に諦めさせず、見捨てない指導が必要であるということを学びました。
その生徒は出願時に学校の先生をはじめ周囲に、現状の成績では「志望校が厳しい」と言われたようであったが、最終的に見事合格を勝ち取りました。
卒塾後も、街中で偶然声をかけられ「先生、困ったらまた塾に勉強しに行きます」なんて(お世辞であることは十分にわかっていますが…)言ってくれるんです。
今思うと、修明学園は教師と生徒が「本音で語り合える場所」であったと再認識しています。
“一人でも多くの受験生の喜ぶ顔が見たい”
私はのべ十数年以上も小学生・中学生・高校生を指導してきました。
行きたい学校に行かないと、後悔や妥協の人生が続き「まあいいや」「もう仕方がない」という発想で埋め尽くされてしまうのではないでしょうか。
「今の現状から目をそむけてはならない!必ず解決策がある」
“今までと同じやり方は、同じ失敗を生む!”
「痛み」を感じなければ、そこから重い腰を上げないということです。
気付いた時がチャンスなんです。
「ピンチはチャンス」
この熱い想いをいつも胸に秘めながら、「効果的な対処法」を研究しつつ、現在も休日返上で塾生の指導に没頭する日々を送っています。
“私はお子さんの強い味方です”
修明学園での指導を通して、この浅草橋・高砂地区の生徒たちの学力を向上させ、地域に貢献することが私の使命です。
お子さんの勉強でお悩みの方は私が必ず何とかするとお約束します。
本当に出来ない子なんて1人もいません。
是非お子さんの可能性を信じてあげて下さい。
最後に、長々とお付き合いいただき、本当にありがとうございます。
第一志望の学校の合格という目標を叶えるために、すべての塾講師と共にぜひ一緒に頑張りましょう!
修明学園 塾長
柴田 圭









